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ゲーム依存 と現代社会

読者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今回は、御子息が夏休みに入られたこの時期、中高生達が普段よりもついついゲーム(スマホ)に手が伸びてしまいがちになり、場合によっては依存症や予備軍となることを懸念し、

その原因やそうなった場合の弊害等について、現代社会の動向に照らし、記事にしてまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

「前置きはいい、対策だけを言ってくれ!」という方は、結論からお読みください。

依存性とは

昔からアルコールやギャンブル等、主に大人の遊興面において「依存症」が社会問題とされてきましたが、

近年ではゲーム依存が世界的にクローズアップされ、今年、WHO(世界保健機関)により「ゲーム障害」という病名で、依存症が正式に病気と認定されるようになりました。

これは、ゲームが単なる娯楽の一種ではなく、ゲームに費やす時間やゲームの影響を受けた精神状態が、プレイヤーの日常生活に支障を来す深刻なレベル(例えば、引きこもり)に達している状態を指します。

今後は世界的に、医療機関の設置や治療方法の研究が行われていくでしょうが、このような状況下、果たして「うちの子は依存まではしていないから大丈夫!」と言い切れるのでしょうか?

この問題について以下、御子息自身と、御子息を取り巻く環境、の二面から考察してまいりたいと思います。

依存に陥るきっかけ

まず(スマホ)ゲームは、アルコールやギャンブルと異なり、
手の平サイズで持ち運びが容易な点
また法律でスマホ自体の使用が年齢制限されていない点で、

精神的に未熟な若年層が依存に陥りやすいと私は考えます。

次にきっかけを考えてみるに、
以前の私の記事でも触れましたように、中高生のなかには、学校➔部活➔塾➔休日も部活(試合)というように、大人以上に日々時間に追われている者もいます。
そのような中、ちょっとした時間の合間でできるゲームは、彼らにとっての一息タイムとなっているのでしょう。

またごく稀に、部活も塾もなく、家には両親もいない完全にフリーな日があれば、手っ取り早く(現金も移動も必要ない)ゲームに没頭してしまうこともあるでしょう。

つまり、日々の生活で時間に追われた彼らが手軽に楽しめる点が、ゲーム依存への入り口となっていると私は考えます。

また彼らは日々の生活で、大人が感じるものと同等かそれ以上のストレスを溜め込む場合があります。

例えば、彼らの学校の先生(部活の顧問)は、20歳代の方も多く、
新婚生活が初々しいのか、またはわが子のとの休日の公園デビューに心を持って行かれているのか、
そのような個人的な事情によって、急な時間変更(午前で打ち切り)や前日に休みを告げる部活動も存在します。

(たいてい先輩教員である)副顧問も、普段から活動にタッチしておらず、代わりを務める気すらないという場合も珍しくありません。

こうなると、中高生たちは大人と同様、急に変更を告げられてもそこからの予定は立てにくいのです(私の知る限り、このような点に不満を抱えていらっしゃる保護者様は多くおられます)。

また、彼らの頭の中は遊びの予定ばかりではなく「他の部で、塾に通っている人は午前中、塾で自習するなり補習を受けて、午後はそのまま塾の友達と過ごしていたりしているのに、してもしなくてもいい部活なら、最初から予定しないで欲しかった。」と思うのは当然のことでしょう。

学生である彼らにも、自分の時間をどう(有効に)使うかの自由はあるのです。

多感な年頃である彼らが、このような部活動の運営に感じるストレスの度合いは、大人が感じるそれとは比べものにならないくらい大きいでしょう。

そして言葉や論理に未熟な彼らは、理不尽な大人(顧問の先生)の態度・決定に反発もせずストレスとして溜め込み、学生の本分から離れた所(ゲームの世界)に、自分の居場所を見い出していくのかもしれません。

私が彼らの言葉を彼らの言葉を代弁すれば、そういう大人に抗議すること自体が「めんどくさ」く、それならゲームをした方がマシと考えてしまうようです。

症状

それではもし、ゲーム依存ないしその予備軍となっていった場合、どのような症状が現れてくるのでしょうか。

記憶力の低下

物事を覚えていられなくなるというより、まずもって、脳に入りにくくなっていきます。

きらびやかな映像と音に魅せられた彼らの脳に、私を含めリアルな人間の言葉は響きにくくなっているように思います。

以前は、『鳴くよ(794)ウグイス平安京』等のフレーズを授業で私が一度言えば、彼らはその場で何度か口ずさんですぐに自分のものにするのが普通でしたが、近年そのような受講生がだんだん少なくなってきています。

恐らくそのフレーズを聞いたのは私からが初めてではなく、小学校でも一度は耳にしていると思います。

とすれば、そもそもその時点で、彼らの脳に刻み込まれなかったのでしょう。「さぁ~、小学校って地理だけで、歴史を習ったかどうかも覚えていません。」と言われたりもします。

このことは、知識として生まれて初めて聞く言葉(フレーズ)から受ける彼らのインパクトが、非常に薄くなっているといえます(日常の生活やテレビCMで一般的に使われているカタカナ英語の意味への共感・理解も弱いです)。

感受性と感情表現の低下

また若年層は、心に純粋さが残っており、かつ精神は未熟であるがゆえ、無意識にゲームの世界へと引き込まれやすく、それに比例して、現実世界での感情表現が苦手になってきています。

すなわち、画面の中で生じては消えを繰り返す喜怒哀楽の感情を、現実の世界でリアルな人間に表現することには、面倒臭さを感じているようです。

つまり、自分が相手に怒れば、相手も自分に怒ってくる(ややこしくなる)可能性を考え、だったらそもそもあまり人には干渉せず、自分とフィーリングの合わない友達(の意見)は、スルー(流して)しまうほうが面倒臭くないと考えてしまうようです。

こうして彼らにとっては、画面の中こそが現実で、リアルな日常が非現実のような逆転現象が無意識のうちに起っていくのかもしれません。

将来の展望について

先述のように彼らが画面の中を自分の居場所(を心地よい)と感じてしまうと、自分の将来に対しての未来予想図ができない、あっても口先だけの希薄なものになってしまっています。

これと同時に、先ほど例にした若い先生のように、彼らにとって憧れを抱く大人(職業)が少なくなってきていること、
これに加え、最近マスコミ等でささやかれている終身雇用の崩壊のニュースをネガティブに解釈し「いい大学に入って、大手に就職してもね・・・」と、

自分の将来のビジョン持てないのは世の中のせいだと考えがち(一人よがりな考え方)になってしまう場合もあるでしょう。

周りへの影響

ここまでお読みになって、「ウチの子は節度あるから大丈夫」とお思いになった方もおられるでしょうが、今回のテーマはそれで済む話ではないと、私は思っております。

先述のように国連の機関(WHO)が動き出したということは、世界的に、「ゲーム障害」が周りに与える影響も憂慮していると思われるからです。

この点について私の考察を述べますと、先でも触れましたが、画面の中こそを自分の居場所だととらえると、現実の日常生活に興味が薄くかつ狭くなりがちです。

この記事を書いている今は、2019年7月の選挙期間中で、私の塾での公民の授業内容と重なっている時期です。
授業にて私が「学校の門の近くにポスター貼ってあるよね?」と聞いても、「さぁ?」としか返ってきません。

「じゃあポスターはいいけど、何の選挙があるのかはわかる?」と聞いても、つい二日前の授業で教えた‘参議院議員選挙’につながらないのです。

勿論、私の塾には「ゲーム障害」の受講生はおりません。ならばこの事態の根底には、先に述べたような初めて聞く言葉から受けるインパクトが薄くなっているという現状だけではなく、

彼らが一日の大半を過ごす学校で「ゲーム障害」とその予備軍の割合が増えてくるにつれ、現実生活への無関心が一種の流行りとして広まるであろうと思えます。

具体的には現在、中高生を取り巻く環境では、ゲームのキャラクターや人気YoutuberやTikTokの話題、すなわち画面の中の世界のことに勢いがあるようです。

つまり、御子息自身が「ゲーム障害」ではないとしても、御子息の周りに現実の世界に無関心な風潮があり、
特に大人のいうことに対してはよく考えもせずに「知らん、わからん」と返すのが文化(かっこいい)となっているような気がします。

私は今、「よく知ってるね~」と大人から褒められるのが嬉しかった昭和の時代を遠く懐かしく思っています。

まとめ(対策)

それでは、御子息がゲーム依存ひいては予備軍に陥らないようにするにはどうすればよいか。

私は、ご家庭での御子息との会話を増やしていく他はないと思っておます。

「何だ、ありきたり!」とお思いになるかもしれませんが、その意義を、今一度考えてみましょう。

まず若い世代だけでなく、大人を含む現代情報社会を生きる我々全体が、ゲームに限らず画面から溢れ出る報道に翻弄されているような気がします。

例えば何か大事なニュースについて、我が子と語り合おうと思っても、次から次への新しい情報の速さと量によって、

我が子に伝えたかった事件事故の驚きや悲しみや教訓は、押し流されてしまっているように思えます(例えば2019年9月、千葉県で台風による大停電が続く最中、内閣改造の報道の方が大きくクローズアップされました)。

私が中学生だった昭和には、もう少しゆっくり時が流れていたような記憶があります(大きな一つのニュースを一週間位、あーだこーだ言ってた)。

とすればこのような時代の流れにもかかわらず、学校の教科書の内容は我々の学生時代とさほど変わっいないがゆえ、今こそとても重要な役割があると私は思っております。

世の中の出来事を解釈し、どう生きていくかを、彼ら一人一人が決定していくには、時代を通じてある程度普遍な、一定の知識・考え方(教養)を身に付けておくことが不可欠であると考えるからです。

この御時世ですから、若者の中には、プロゲーマーやゲーム実況Youtuberを夢見る者もいることでしょう。

しかしプロでやっていけるのか、ひいてはその道で一流になるにも、やはり一定の知識や考え方を身に付けた上で、技術向上のための規則正しい生活や練習の積み重ね(試練)が必要だと私は思います。

彼らが成長過程で自ら、自分がゲームに対してこのような試練を継続できるのか等、客観的に考察できるようになることが理想的ですよね。

ならばこのような理想を実現すべく、一定の知識や考え方を備えかつ人生経験を積んだ保護者様と、御子息での会話(教養)を増やしていきましょう。

御子息が関心や疑問を抱いたことに対して、極端な話、親子でスマホ片手に会話をしてもいいと思います。

そうしていくうちに、検索の仕方をはじめ、情報の取捨選択を教え(時には教えられ)、ゲームを攻略するより現実(人生)で役に立つものへの探求へと、スマホの使い方が変わってくるのかもしれません。

そして最後に、本記事の根幹を述べますが、彼らは決して前述したような、日常のストレス➔ゲーム直行ではないのです。

この矢印の根底には、さみしさ(誰にも不満を打ち分けられない切なさ)がきっとあって、ご家庭での会話は、御子息がゲーム(その他、画面を通じての楽しみ)で心の隙間を埋めようとするのを防ぐために、極めて重要な意義があると私は思っております。

会話の中で御子息に『お前はすでに現実で、お前にしかできない、お前の人生ゲームを楽しんでいるじゃないか?!』というようなニュアンスが伝われば最高だと私は思い、この記事を終えます。

最後までご覧頂き、有難うございます。
私は福岡市西区今宿駅前にて学習塾を営んでおります、長澤と申します。

今回の記事のように、現代の情報社会の中での個人のあり方を一つの大きなテーマとしつつ、日々教場に臨んでおります(よろしければ当塾の教育理念をご覧ください)。

今後も運営上、その他で感じたことや考えたことを記事にしてまいりたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。

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長澤 倫康 (ながさわともやす)

長澤 倫康 (ながさわともやす)

藍洋塾の代表者兼、文系科目の担当をしています。 司法試験受験を重ねる傍ら学習塾に勤務し、子供達とふれあう中で教育に熱意を抱き、2012年に福岡市西区今宿駅前で開業しました。 現代の子供達に無限の可能性を感じつつも、日々起こる様々な問題に対し実力を発揮できていない実情を、社会に問いかけるべくブログを展開してまいる所存でございます。

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